こんにちは、川崎です。
世の中、中学受験が佳境に入ってくるシーズンになりました。
教育にアンテナを立てている私のもとにも、嫌というほど中学受験の話が耳に入ってきます。
ところで、正直に言いますが、私は今の中学受験というシステムに大きな疑問を持っています。
少なくとも、自分の息子には絶対に中学受験をさせようとは思いません。
競争原理がもたらす弊害
世の中の学校や塾では、教室内で「競争原理」を持ち込むところも多いです。
学校では席次が発表されたり、テストの点数が良かった生徒を発表したりして、生徒間の競争を促す所もあります。
塾ではそれがさらに過熱し、いわゆるクラス分けテストも行われ、偏差値による煽りも見受けられます。
しかし、教育現場での過度な競争は、生徒を本当に幸せにするでしょうか。
成績下位の生徒は、劣等感に苛まれます。
たとえクラスの中で上位であったとしても、「いつか抜かされるかもしれない」というハラハラ感を常に抱えている状態になります。
当然、成績による階層社会が生まれ、そこから「いじめ」というより犯罪に近い行為も起きかねません。
そして残念なことに、教師や講師がそれを見て見ぬふりをすることもあります。
こうした環境では、往々にして「学校(塾)の利益」、要は成績の良い生徒が優先されます。
「成績下位の生徒は、進学実績の点から言うといなくなってもらっても構わない」...そんな冷徹な論理が見え隠れすることもあるのです。
「強み」を伸ばす教育へ
本来、教育というものはすべての生徒を幸せにするものであるはずです。
各自が自分のペースで学び、それぞれの強みを伸ばしていけばいいのです。
確かに、読み書きそろばんといった基礎学力は必要ですが、生活や仕事に困らない最低限のものがあれば、あとは自分の強みを伸ばしていくほうが、自分自身や社会のためになるでしょう。
幸い、日本の大学受験も変わってきました。
アメリカの大学受験や企業の就職活動のように、総合面で生徒を判定する「総合型選抜」の形が増えています。
これからは、偏差値だけでなく、学びたい方向性や専門性、行動力といった「人としてのすべて」が問われます。
単に受験勉強をするというより、「自分が今まで学んできたものを受け入れてくれる大学を探す」というスタンスに変わってきたように思われます。
成績だけでは測れない「生きる力」
そもそも、人間というものは学校の成績だけで測ることなんてできないのです。
学校の成績がいいからといって、社会で仕事ができるかというと、それは全く別の話です。
例えば、私が通信制高校で教えていて仲良くなった、いわゆる「ギャル」の女の子の話です。
彼女はお世辞にも勉強は得意ではありません。しかし、「将来は何するの?」と聞くと、堂々と「塗装屋をする!」と答えました。
夏休みに建設現場で塗装のバイトをして、その仕事をとても気に入ったそうです。
彼女のような人懐っこい性格があれば、恐らく現場でも可愛がられ、立派な職人になるでしょう。
「中身」のある大人になるために
一方で、受験勉強ばかりしていた生徒はどうでしょうか。
その分、他の経験がないため、就職活動や社会に出てから苦戦することがあります。
いわゆる「就活テクニック」だけ身につけても、語れる中身がスカスカだと、アピールも何もないのです。
皮肉な話ですが、あれだけ必死に勉強して、塾で成績上位だったのにもかかわらず、学生時代に勉強もせず遊び呆けていた(その分、社会経験を積んでいた)人よりも年収が低い...といったケースは、今の社会では多々あるのです。
偏差値という一つの尺度に縛られず、もっと広い世界を見て、自分だけの強みを見つけてほしいと願っています。